苦手なこと
今日気が付いた。
何にって?自分の苦手なことに。
それは他人のため息。
赤の他人とかはどうでもいいんだ。身内、というか家族。一緒に住んでいる人。
どうして気が付いたかというと、彼女がね今日ため息ついてたんだ。
瞬間、みるみる体にストレスがかかっていくのがわかって、緊張した時みたいに血管が収縮していくのが分かったんだ。
今日、彼女がとても気が進まないお出かけに出かけることはわかっていること。そこに僕の責任はまるでない。でも彼女のため息を聞いた途端、僕の身体は極度のストレスにまみれて緊張状態になった。
この原因を作ってくれたのは、別れた元妻だ。
別れたから元妻なんだけど、そんなことは置いといて。元妻は自分の不機嫌を溜息で気付かせようとする人だった。
「ハー…」
というため息が聞こえるたび、僕は元妻が何かしらのことで不機嫌なのだということを悟らされる。
そこから、様々な攻撃が開始されるのだ。暴言、嫌味、時には暴力。元妻はあらゆる手を使って僕の罪悪感を刺激する。
以下に僕が悪い人間であるか、自分が被害者であるかを滔々と語る。
それが日常の中で繰り返される。
いつしか僕は、他人の機嫌の責任を感じる人間になってしまっていた。たとえ自分には無関係だったとしても、誰かの不機嫌は僕の責任のように感じるようになってしまっていた。その内不機嫌な誰かといることがものすごくストレスになるようになってきた。だから一緒にいる誰かの機嫌のためなら自分の意志や希望を犠牲にすることは何でもないことになっていた。
僕はそうやって自分自身を傷つけていた。
恐らくスタートは僕の最初の家族、両親だ。
彼らはとても気が短かった。何で怒り出すのか、何で怒っているのかわからなかった。同じことでも、彼らの機嫌によって結果は変わる。瞬時に顔色を窺い話の軌道修正をする能力が求められた。
両親によって身につけさせられたその能力は、成長した僕から健全な人間関係の構築能力を奪っていった。
ここまでわかっていても、、僕はそのことをやめられない。自分を犠牲すること。傷つけることを止められない。もうそんなことをする人は周りにはいないとわかっていても、それをやめることはできない。
心のどこかにずっと無駄な力がかかっているような状態だ。何もしていなくても僕は疲れてしまう。
僕が安らぐことができる日は来るのだろうか。